校長室 11月




シャルトル聖パウロ修道女会総長様のご来校
斯華会(同窓会)役員の皆様とともに




「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、ただの一粒である。
     死ねば多くの実を結ぶ」  (ヨハネ福音書12章24節)


11月は、「死者の月」として、あの世に旅立った人を偲び、安らかにお眠りくださいと祈願します。しかし、或る神父様曰く、“あの世界に召されていくと、安らかに眠ってなんかしていられないよ。かつて地上でお世話になった人達への御礼廻りに超忙しい筈だ! ”と。ユーモラスにさりげなくご自分の天国観を語られた。私は予想もしなかったその発想に、目からうろこ!小中高時代に心配をかけっぱなしの方々に、あの世でお礼が言えるとは何と幸いなことか!?と。
 ところで天国に召される人とは? 主キリストの教えによると、「地に落ちて死んだ一粒の麦になれた人間」なのである。麦の実は、安全に保存されているだけでは、役に立たず実も結ばない。それが実を結ぶのは、冷たい土の中に投げ込まれ、丁度墓に葬られるように埋められる時である。つまり個人的な野望や野心で生を駆り立てている力ではなくそれらを捨てて神のみ心を行い、他者のために生きることである。キリストが、自分の命を保とうとする者は、それを失い、自分の命を使い果たそうとする者はついにはそれを得る、と主張されたのは一度や二度のことではない。そして、キリスト自身が一粒の麦になられたのである。人々の為、社会の為に偉大な事を成し遂げた人々は、多くの場合、死ぬ覚悟でやったからそれができたのでしょう。
 かつて、東京大学のある学長さんが、卒業式の式辞の中で、学生達に「一粒の麦は地に落ちて死ななければ、ただの一粒のままである。死ねば多くの実を結ぶ」を引用されたと聞いていますが、まさしく各地で日本の将来を担うであろうトップリーダー達に必要な訓辞ではなかったかと思うのです。




























HPトップへ戻る        HPトップへ戻る